[!NOTE] この物語はフィクションです。 しかし、AIと共に生きる私たち全員にとって、決して他人事ではない「もしも」の未来を描いています。
蜜月の始まり
最初は、魔法を手に入れた気分だった。 ChatGPTに出会ったのは2年前。フリーライターとして独立したばかりの私は、常に納期とクオリティの板挟みに苦しんでいた。
「これについて書いて」と投げるだけで、数秒で流暢な文章が返ってくる。 私はそれをコピペし、少し語尾を整えて納品した。クライアントからは「仕事が早いですね!」と褒められた。
味を占めた私は、あらゆる仕事をAIに任せるようになった。 構成案も、リサーチも、執筆も、メールの返信さえも。 私の生産性は10倍になり、収入も倍増した。「自分はAIを使いこなす側の人間だ」と、万能感に浸っていた。
忍び寄る影
異変に気づいたのは、半年が過ぎた頃だった。 久しぶりに、自分の言葉で日記を書こうとした時だ。
言葉が出てこない。
以前ならスラスラと書けたはずの感情描写が、まったく浮かばないのだ。 頭の中にあるのは、「AIならどう書くか?」という予測変換のような思考だけ。 「悲しい」「嬉しい」といった単純な言葉しか出てこず、その奥にある複雑な機微を言語化する回路が、完全に錆びついていた。
私は焦ってキーボードを叩いたが、画面に並ぶのは、どこかで見たような、当たり障りのない、体温のない文章ばかりだった。
崩壊
決定的な瞬間は、長年の付き合いがある編集者からのメールだった。
「最近、記事のトーンが変わりましたね。 整ってはいるんですが……なんていうか、あなたらしさが消えた 気がします。 以前のような、泥臭いけど熱量のある文章が読みたいです」
その言葉に、私は殴られたような衝撃を受けた。 バレていたのだ。 「効率化」という名の手抜きが。「品質」という名の均質化が。 私はAIという仮面を被るあまり、仮面の下の素顔を忘れてしまっていた。
再生への道
その日から私は、AI断ちをした。 リハビリは過酷だった。自分の頭で考えることが、これほど苦痛だとは思わなかった。 1000文字書くのに3時間かかった。出来上がった文章は不格好で、AIが書いたものよりずっと下手だった。
でも、そこには確かに「私」がいた。 不器用で、偏っていて、感情的な、人間としての私が。
教訓:主従関係を間違えるな
今でも私はAIを使っている。しかし、使い方は劇的に変わった。 AIに「書かせる」ことはもうしない。AIには「調べさせる」「整理させる」「壁打ちさせる」だけだ。 最後の出力(アウトプット)は、絶対に自分の指で行う。 それだけは譲らないと決めた。
AIは強力なエンジンだ。でも、ハンドルを握るのは人間でなければならない。 ハンドルを手放して自動運転に任せきりにすれば、私たちはいつか、目的地どころか、自分が誰なのかさえ見失ってしまうだろう。